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行方不明・毒殺・病死・事故死・冤罪工作
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サルーンを運営する国際会館グループのオーナーが暴力団とのトラブルの末に殺害され、その報復にオーナーの息子と系列店の店長たちが共謀して暴力団組員たちを殺害しまくったとされる事件である。死体は1体しか発見されていない。

殺害した理由は父親が殺害されたのに復讐として息子と系列店の店長らが暴力団を殺害した。
復讐したわけで、親の仇を息子が討て道義的には問題が無い。

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(不正改造されたパチスロ機裏物店)
男性3人の殺害や死亡に関与したなどとして、5事件で殺人や逮捕監禁致死など六つの罪に問われた無職上村隆被告(52)の裁判員裁判の判決で、神戸地裁姫路支部(藤原美弥子裁判長)は15日、求刑通り死刑を言い渡した。

上村被告が起訴事実の大半を否認し、うち2人の遺体が見つかっていないなど直接証拠にも乏しく、裁判は長期化。審理期間は昨年10月の初公判から判決まで166日だった。

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事件の共犯者として起訴され、昨年11月に同支部で無期懲役(求刑・死刑、控訴)の判決を受けた無職陳春根被告(48)の207日間に次ぎ、裁判員裁判では2番目の長期審理となった。

判決によると、上村被告は陳被告と共謀し、2010~11年、男性2人を殺害し、男性1人を監禁して死亡させるなどした。上村被告は3人の死亡には関与していないと主張していた。

男性3人の殺害や死亡に関与したなどとして、5事件で殺人や逮捕監禁致死など六つの罪に問われた無職上村隆被告(52)の裁判員裁判の判決で、神戸地裁姫路支部(藤原美弥子裁判長)は15日、求刑通り死刑を言い渡した。

上村被告が起訴事実の大半を否認し、うち2人の遺体が見つかっていないなど直接証拠にも乏しく、裁判は長期化。審理期間は昨年10月の初公判から判決まで166日だった。

事件の共犯者として起訴され、昨年11月に同支部で無期懲役(求刑・死刑、控訴)の判決を受けた無職陳春根被告(48)の207日間に次ぎ、裁判員裁判では2番目の長期審理となった。

判決によると、上村被告は陳被告と共謀し、2010~11年、男性2人を殺害し、男性1人を監禁して死亡させるなどした。上村被告は3人の死亡には関与していないと主張していた。

上村被告の弁護側は「従属的立場の上村被告が死刑となるのは著しい不平等だ」と主張したが、小法廷は「被告は実行役の中では中核的な存在。3人もの人命を奪った結果は誠に重大」と退けた。

被害者は元暴力団組員の下山誠也さん
会社社長の前田巌さん
元暴力団組員の厳大光さん

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田さんと厳さんの遺体は見つかっていない。

元大阪高検検事長の三浦守裁判官は審理から外れ、残る裁判官3人全員一致の意見。

1、2審判決によると、上村被告は10年4月、元暴力団員の男性(当時57歳)を監禁して死亡させた。同年6月には元広告会社社長の男性(同50歳)を射殺し、11年2月には同県姫路市で作業員の男性(同37歳)の首を圧迫して窒息死させた。

直接証拠もないし、遺体もないし、判断するのも難しかった。

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ウクライナ戦争の影響で人を殺すことに抵抗感年が無くなってきた。

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奈良小1女児殺害事件 – 2004年

奈良市で小学1年生の女児を強姦目的で誘拐し、殺害した事件です。被害者の女児の歯をえぐり、側溝に遺棄しています。その後女児の携帯電話を利用して、「次は妹だ」と脅迫文も送りつけていました。また遺体の写真を、家族に送りつけるという驚くべき行動もとっています。

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小林 薫 (こばやし かおる、事件当時35歳)
1968年 ( 昭和 43年)11月30日生まれ ・ 大阪府 大阪市 住吉区 出身 。
逮捕 当時は36歳・ 毎日新聞 西大和ニュータウン 販売所 従業員で、 生駒郡 三郷町 勢野東一丁目のマンションに在住していた 。

刑事裁判で死刑が確定し、 死刑囚 として 2013年 (平成25年) 2月21日 に収監先・ 大阪拘置所 で 死刑を執行された (44歳没) 
1か月後に携帯電話の電波発信履歴などから、犯人の小林薫を逮捕。裁判の時に小林は、「反省の気持ちも更生する自信もない。早く死刑判決を受け、第二の宮﨑勤か宅間守として世間に名を残したい」と証言しています。


奈良小1女児殺害事件は、2004年11月17日、奈良県奈良市で帰宅途中の小学校1年生の女子児童が誘拐され、その後殺害・遺棄された誘拐殺人事件です。

ことの発端は11月17日の夜でした。犯人小林薫が被害者の携帯電話を使って「娘はもらった」と母親にメールし、そのメールには被害者の画像も添付されていました。

この携帯電話はGPS機能付のものでしたが、小林薫は使用後、携帯電話の電源を切っているか、その機能をオフに設定しています。

司法解剖の結果、水死と判明し、肺にたまっていた水が汚れていなかったことから水道水を張った風呂場か洗面器に顔を押し付けて、水死させたと判断されました。

また、殺害時に被害者を裸にして殺害後に服を着せたと見られています。手足にはすり傷があり、この擦り傷は殺害後に意図的につけたものと判明しました。歯も殺害後に数本抜かれていました。

そして12月14日未明、犯人と思われる人物から両親や親族の携帯に、「次は妹を狙う」と被害者の女児が持っていた携帯電話からメールが送られた。このメールにも被害者の画像が添付されていたのです。

12月30日、奈良県警察本部は毎日新聞販売店店員だった男小林薫の自宅を家宅捜索し、女児の携帯電話とランドセル、ジャンパーなどを発見し、誘拐を認めたため逮捕、その後2005年1月19日に殺人と死体遺棄容疑で再逮捕されました。

逮捕のきっかけは、女児の携帯電話から小林薫の携帯電話にメール発信がされていたことで、その通信記録から小林薫が割り出されました。

小林薫の自宅からは幼児ポルノのビデオ80~100本や雑誌それに盗んだものと見られる女児の下着や衣類が約80枚、およびダッチワイフが押収されており、小児性愛者であることが判明します。

また、女児が小林薫の車に自分から乗るところを目撃されており、顔見知りによる犯行も取り沙汰されたが、実際には行きずりの犯行で、小林薫は女児とは面識がなく女の子なら誰でも良かったと供述しているそうです。

更に小林薫には過去に幼児への強制わいせつの前科があり、性犯罪者を登録、監視する米国のミーガン法などにならった前歴者への監視を強めることの必要が議論されることとなりました。

 
裁判の死刑判決にガッツポーズをみせた小林薫
 
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2005年4月18日、奈良地方裁判所で初公判が開かれ「反省の気持ちも更生する自信もない。早く死刑判決を受け、第二の宮﨑勤として世間に名を残したい」という小林薫の述べた供述を検察官は朗読しました。

奈良地裁は2006年9月26日、小林薫に求刑通り死刑判決を言い渡すと、小林薫はガッツポーズも見せ、判決後に弁護人に対し「死刑は覚悟していた」と述べています。

弁護側は、判決を不服として大阪高等裁判所に控訴したが、10月10日に小林薫自らが控訴を取り下げ死刑が確定しました。

判決後2006年10月30日、遺族に弁護人を通じ、自分の行為は「人として最低な行為」であったが、「公判中に謝罪の気持ちを表したくてもできなかった」と書かれた文章を手渡そうとしたが、公判の様子からして本心からの謝罪だとは思われずに遺族に拒否されてしまいます。

被害者小1女児・有山楓ちゃんの死因は水死
 
被害者の死因に関して検察側は「水道水を張った風呂場か洗面器に顔を押し付けて水死させた」とし、小林薫自身も逮捕後に主張を否定しませんでした。

それは「もう死刑で早く死んでしまおう」という意向によるものだったと後に雑誌に手記を寄せています。しかし小林薫本人によると真実は、「悪戯をするために女児に睡眠剤を大量に飲ませたのちに入浴させたところ、気が付いたら湯船の中で死んでいた」というものでした。

どちらも子供を殺害した凶悪殺人犯であり、二人を目指しているような発言も明らかなサイコパスの発想といえます。

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当時小学生1年生だった女の子、もまだまだ人生がこれからという時期だったことでしょう。

犯人である小林薫は死刑となり、2013年2月21日、大阪拘置所で死刑が執行されました。裁判では投げやりな態度で死刑を急いでいたように見える小林薫ですが、ところどころ生に執着する姿も見せていたようです。

また、ある情報では最期の言葉として「ふ、ふ、風呂とちゃうんか?・・・」という言葉を残してると言われています。

これがどういう意図なのかは不明ですが、同じように水死させられると思ったのか、もしくは風呂だと思って呼び出されたと思ったのかどちらかでしょう。

この言葉がもしも真実であるならばどもっているあたりからも死への恐怖心を感じます。このことから、小林薫も最期の最期で死に対しての恐怖心が出てしまったのでしょう。

この言葉から分かるようにこの男は精神障害だったわけです。
殺しても被害者の子は帰らないし、一生重労働の刑にして働いた賞与金を被害者の遺族に送るほうがいいのでは…。


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2005年4月29日
香川県坂出市王越町木沢にある五色台ビジターセンターの奥にある竹林で、五色台連絡協議会主催でのタケノコ掘りイベントが開かれました。

大西有紀ちゃんは母親と3歳上の姉の3人で参加し、イベントには19家族(54人)と6人のボランティアの合計60人が参加していました。タケノコ掘りが始まったのは午後1時です。

家族3人でタケノコを掘り、4本目のタケノコを掘った1時40分ごろに、有紀ちゃんは「もう1本取ってくる」と言って、1人で遊歩道の方角に時計回りに歩いていきました。

有紀ちゃんは1人で遊歩道を歩く間に、途中で女子中学生と言葉を交わしています。さらに、1時48分ごろには、男性が有紀ちゃんと思われるピンクの帽子をかぶった女児を目撃しました。

その後、集合時間の午後2時を過ぎても有紀ちゃんが戻ってこなかったため、母親やイベント参加者が有紀ちゃんを探しましたが見つけることができず、午後3時に警察に通報しています。

午後3時45分
警察が現場の五色台ビジターセンターに到着し、午後5時には地元の消防団も到着しました。行方不明当日から100人以上で捜索し、警察犬も投入されましたが、有紀ちゃんを発見することはできなかったのです。

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・年齢:5歳
・身長:105cm
・体重:16kgくらい
・長袖シャツ(赤とオレンジのしま模様)
・紺色の長ズボン(オレンジの三本ライン)
・ピンクの帽子(左側に花模様)
・ピンクの靴(ウサギの柄)
・軍手(白色、子供用)
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タケノコ掘り失踪事件での大西有紀ちゃんの捜索は、当日から100名以上の規模で行われ、警察犬も投入されました。

この警察犬に、有紀ちゃんの水筒の匂いをかがせて捜索を行ったところ、警察犬は遊歩道とタンベ池の間のとある小さな空間で警察犬はピタリと止まったんです。

そして、翌日には4頭の警察犬が投入され、さらに詳しい捜索が行われましたが、前日の警察犬と同じ場所でやはりピタッと止まりました。ということは、ここで有紀ちゃんの足取りが消えたということになります。

警察犬の捜索によって、大西有紀ちゃんは車も入れないような竹林の中で忽然と姿を消してしまったことが分かっています。

・1時48分頃に茂みの中から大きなリュックを背負った男がいきなり遊歩道に出てきた
・イベント参加者の女性が声をかけるも何も答えなかった
・遊歩道を歩かず、また茂みの中に入ってしまった
・男が向かった方向はその時有紀ちゃんがいたと思われる
 
この男は、タケノコ掘りのイベントの参加者ではなかったことが判明しています。しかも、茂みから現れて、大西有紀ちゃんがいたと思われる方向の茂みに入っていったと言われています。
 
これを考えると、この男は相当怪しく、不審人物であることが分かります。
 
では、この不審な男はどうやって有紀ちゃんを連れ去ったのでしょうか?
 
有紀ちゃんが竹林の中から忽然と姿を消したことは警察犬の動きで明らかになっており、この不審な男は、有紀ちゃんをリュックの中に入れて運んだのではないかと推測されています。

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大きなリュックなら5歳の女の子は楽々入りますし、体重16kgなら成人男性が背負うことは簡単です。
 
5歳の有紀ちゃんは遊歩道を歩き続けて疲れてしまったところに、不審な男が近づいてきて、リュックに入るように促した可能性があります。
 
有紀ちゃんが声を出して助けを求めない限り、まさかリュックの中に5歳の女のが入っているなんて誰も思いませんよね。

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男はたまたまイベントとは別に、個人的にタケノコ掘りに来ていたのでしょう。

大西有紀ちゃんがこの不審な男にリュックに入れられて連れ去られたということで間違いないと思います。状況証拠的にこの男しか考えられませんね。

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プロフィール
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制裁代行人
年齢:
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性別:
男性
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1987/03/15
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復讐屋
自己紹介:
「別れた夫、妻に復讐をしたい!」「会社の上司を懲らしめたい!」「騙した相手に制裁を!」

「散々いじめてきた相手に懲らしめたい!」
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