この鉄格子に紐状の物、ランニングシャツ、枕カバー、シーツ、布オムツ、衣類などを切り裂いて結んで紐にして輪っかを作り、そこに自ら首を掛け吊って自死した患者は二桁を優に超え三桁になる。
この閉鎖病棟のこの部屋で自死する患者が年間100を超えても横組の鉄格子を縦組にすることはしないだろう。
入院期間が数十年を超える生活保護の患者も少なくないこの病院では、古い患者は要らないのだ。
新規の患者を獲得し金の流れを滞らせない為に必要不可欠なパーツの鉄格子。
スーパー救急を狙う病院だからこそ、長期精神病院は、現在では精神科病院と呼ばれるようになったが、名称が変更になってもその実態には大きな変化があるわけではない。新しく建造された精神病院はアメニティがかなりの程度改善し、一人一人のスペースも広いものとなっている。
古い時代のように、畳敷きの大部屋に10人、20人と雑居していることはほとんどみられなくなった。
その中でも閉鎖病棟は、重度の精神病患者を収容する病棟で施錠がきびしい。
外出を許可されることは、まずめったにない。窓という窓には、逃亡を防ぐために、頑丈な鉄格子がはめ込まれている。

男女がいるところには、恋愛沙汰はつきものである。
ある中年の精神科の医師が、女子病棟に入院していた16歳の女性患者を「治療」と称して院外に連れ出し、ディズニーランドに行った後に性的関係を持った事件があった。これは両者合意の上のデートだったが、女性患者が自分は医者と付き合っていると施設の職員など周囲に自慢したため、病院の管理者の知るところになってしまった。
この事実を知った院長や事務長は青ざめてパニックとなり、マスコミに漏れる前にすぐにその医師を退職させ隠蔽してしまった。こんなことはどこの病院で起こっている困った問題だ。
精神疾患により医療機関にかかっている患者数は日本中で400万人を超えている。
そして精神病床への入院患者数は約28万人精神病床は約34万床あり、世界の5分の1を占めるとされる(数字は2017年時点)。人口当たりで見ても世界でダントツに多いことを背景として、現場では長期入院や身体拘束など人権上の問題が山積している。
「14歳の時に摂食障害(拒食症)で都内の総合病院の精神科に入院し、77日間にわたり身体拘束された女性Aさん(27歳)は当時の経験をそう振り返る」
「受診後、入院するまでの数日間、Aさんはどこかで入院生活を楽しみにしている自分もいたと話す。「今まで病気らしい病気になったことがなかった自分に病名がつき、皆が自分の体を心配してくれることがうれしくすらありました。入院中、友達に手紙を書きたいし、家族の面会も楽しみ、同じ病室・病棟の子と仲良くできたらいいな、などと考えていました」
ところが入院当日、そうした浮かれた考えは一気に打ち砕かれた。
案内されたのは病棟の奥にある、ベッドとポータブルトイレだけがある、無機質な独房のような個室だった。鉄格子のついた窓の外はつねに日陰で、その日の天気もわからなかった。
約4カ月半にも及ぶ長期入院になるとは思っても居なかったという。
入院にあたって、まず行われたのが持ち物検査だ。眉をそるためのカミソリはおろか、携帯電話や音楽を聴くためのiPod、書籍や筆記用具、コンタクトレンズまで持ち込みが許されなかった。一つひとつ選んで持ってきた大切なぬいぐるみは手乗りサイズ1つを残し、すべて持ち帰りが命じられた。
ベッド上に寝たままで勝手に動かないように
入院後、Aさんが主治医からきつく課されたのが、ベッド上に寝たままで勝手に動かない(床上安静)ということだ。ベッドサイドに腰掛けることも認められない。また個室内の衝立(ついたて)のないポータブルトイレすら勝手に使うことが許されず、看護師の許可を得て利用し使用後確認させることが求められた。
つまりAさんが自由を許されたのは、個室のベッドの上で横になり、小さなぬいぐるみをひたすらなでることだけだった。
同じく主治医からは、出された普通食を3分の2以上平らげることを厳しく求められた。
しかも病院ではそれまで胃が受け付けないと避けていた、天丼やカレーなど重い食事が頻繁に提供された。揚げ物の衣の油がきつく、食べたくなかったが、そうできないのには訳があった。
「主治医との最初の面談で、3分の2以上食べなければ、鼻から胃に直接栄養をいれる『経鼻胃管』に切り替えると告げられており、胃もたれに苦しみながら必死で食べ続けました」
テレビも読書も音楽も禁止され、両親や友人との面会はおろか手紙や伝言も許されないなど、外界とつながりが隔絶された日々に、Aさんの病院と主治医への不信感は高まっていった。入院から約1週間後、Aさんは両親に会いたいとの懇願を看護師にあしらわれると、一連の処遇への不満から点滴を自己抜去した。
駆けつけた主治医に、Aさんは思いの丈をぶつけた。「ほかの精神科へ転院させてください」「それが無理なら小児科病棟に移してください」。
主治医に却下されると、最後の希望をかけて、「私は任意入院だと聞いています。
権利があるはずなので退院して自宅に帰ります」と訴え、出ていこうとした。
そのAさんに主治医から非情な一言が告げられた。
「ああ、今から医療保護入院になるから、それは無理だよ」
「『もういいかな? じゃあやっておいて』と主治医が手慣れた様子で言い放つと、病室に入ってきた4人の看護師が手足を押さえつけ、手際よく柔道着の帯のような平たい頑丈なひもを私の体に巻き付け、ベッドの柵の下側に結んでいきました」
両手、両足、肩のが終わると、次に鼻の穴から、経鼻胃管のチューブが挿管された。チューブは胃カメラのときに入れるものよりも太くて固い。それが常時入れられたままになる。
「経鼻胃管をされると、24時間ずっと鼻とのどに食べ物や飲み物が詰まっているような、何ともいえない違和感があります。例えるなら、柱がのどに突き刺さっているような感覚です。とにかく、苦くて痛い、そして苦しくかゆいとしか言いようがありません」
排尿は、尿道バルーンが自動的に尿を吸い出す形で行われた。拘束が外れた後も筋力が回復して自力でトイレに行けるようになるまで、2カ月半ほど付け続けた。
「経鼻胃管の痛みと違和感が強すぎて、尿道バルーンの痛みや違和感はそこまで記憶していません。ただ、恥ずかしさはとても大きかったです」
より恥ずかしかったのは排便だ。
おむつを付けさせられたうえ、排便時にはナースコールをして看護師におむつを脱がされ、お尻とベッドの間にちり取りの形をした「おまる」を入れられ、そこにしなければならなかった。
「排便時もおなかに1枚タオルをかけてくれたぐらいしか、プライバシーへの配慮はありませんでした。3日に1回お通じがなければ浣腸され、無理やり排便させられました。恥ずかしいし情けないし、思い出したくない経験です」
当然のことながら、摂食障害で入院したAさんは意識も鮮明で、はっきりと意思の疎通もでき、もちろん幻覚を見たり幻聴を聞いたりすることもなかった。「意識が完全にクリアな中でされる身体拘束や経鼻胃管、尿道バルーンの経験は、まさに『極限の地獄』」。
入浴もできず、数日に一度の看護師による手か足の部分浴か清拭のみがなされた。
「点滴が落ちるのを見ることぐらいしかできない身体拘束中は、1分1秒、時間が経つのがとても長く感じました。その間、私はどうしたらこの拘束が解け地獄から抜け出せるのか、必死で考え続けました」
主治医からは身体拘束の理由について、「自分を見つめなおすため」「自分と向き合う時間を作るため」といった抽象的な説明ばかりで、Aさんのその時点での状態の説明や治療目的、どうすれば拘束が外れるかの具体的説明などは、何ひとつなかった。
いつまで続くかわからない身体拘束から逃れるべく、必死で考え続けるAさんを前に、主治医はこんな雑談をしたこともあった。
考え続けた結果、Aさんが生育過程での母親との関係性の悪化について話をするときだけ、禅問答のような聞き返しがなく、Aさんの話を納得したように黙って聞いてくれることに気がついた。
「主治医はこの病気の原因を母親との親子関係に結び付ければ満足してくれるのだと思い、その方向で話を合わせるようになってからは、拘束が緩んでいくのが早くなりました」
結局、全拘束が解除されたのは8月上旬、5月下旬から77日間にわたって、24時間拘束が続いたことになる。両親と面会が許されたのは、それからさらに1カ月半先の9月末のことだ。退院はさらに2カ月後となる11月末、入院からちょうど半年が過ぎていた。
2018年5月
不当な身体拘束を受けたとして、この病院に損害賠償を求める裁判を起こした。現在、東京地方裁判所で係争中だ。
「散々いじめてきた相手に懲らしめたい!」