死刑が確定してからわずか2年での死刑執行に現在でも疑問の声が上がっていて、冤罪事件の可能性がある中での死刑執行には批判もありました。
現代ではDNA検査などの捜査技術が大きく発展したのにもかかわらず、依然として冤罪となる事件が多く存在します。ここでは、そのような冤罪だったのに死刑が執行された事件。
AちゃんとBちゃんは翌日に遺体となって発見されました。2月21日午前0時10分頃に福岡県甘木市の八丁峠を自動車で通りかかった団体職員の男性が、小用を足すために車を降りたところ崖下の斜面にマネキンのようなものが捨ててあるのを発見しました。
不審に思い警察に通報した結果2人の遺体であることが判明したのです。死因は頸頸部を圧迫されたことによる窒息死で、性的暴行を受けた形跡がありました。
2人とも下着を脱がされており、下着やランドセルは遺体発見現場とは別の場所で道路から投げ捨てられたように遺棄されているのが見つかっています。
事件から2年後の1994年9月23日に女児の衣服についていた繊維片と久間の車で使われていたシートの繊維片が一致したため久間が逮捕されることになりました。
逮捕後も無罪を主張していましたが10月14日に死体遺棄で起訴され、11月5日には殺人略取誘拐でも追起訴されました。福岡地裁は1999年9月29日に死刑判決を下します。
久間は控訴と上告をしましたがともに棄却されて2006年9月8日に死刑が確定しました。

久間三千年(くま としみつ)
1992年、日本の福岡県飯塚市で事件は発生しました。飯塚市に小学校に通う2名の女子児童が行方不明になり、その後、飯塚市の山中で死体となって発見されました。
その後、現場に残されていた犯人のと思われる体液をDNA鑑定したところ、同じ福岡県飯塚市に住む日本人「久間三千年(くま としみつ)」のDNAと一致し、彼は逮捕されました。
久間三千年は判決の結果、「死刑」を言い渡されることになります。
出典: https://japaneseclass.jp
疑問の多いDNA鑑定
飯塚事件の犯人として「久間三千年」が逮捕された決定的な証拠はDNA鑑定による証拠です。
被害者の女子児童についていた毛髪や指紋などいくつかの証拠件数をDNA鑑定した結果、同じ飯塚市内に住む、久間三千年(くま みちとし)のDNAと一致したと判断され、彼は逮捕されました。
しかし、このDNA鑑定にはいくつかの疑問点が挙げられます。
第1に、DNAの鑑定方法に欠陥がある可能性があったことです。DNA鑑定は「MCT118」とよばれる検査方法によって行われました。しかし、このDNA検査「MCT118」は現在の鑑定技術に比べると、検査方法が非常に大雑把で欠陥があるとされており、証拠とするには疑問であるという声があがっています。
第2に、鑑定者の技量も疑問視されています。鑑定者が鑑定に使用する毛髪・血液などのいつかのサンプル件数を必要以上に使用し、再度鑑定することができなくなっていたのです。事件の有力な証拠件数が鑑定者の技量不足によって損失してしまったのです。この鑑定者の技量不足から、そもそも本当にしっかりと鑑定が行われていたのかも疑問視されています。
これらの疑問件数によってDNA鑑定が本当に正しかったのか疑問が強まっており、「冤罪の可能性が高まっています。
不確かな目撃証言
飯塚事件にはDNA鑑定以外の物的証拠に乏しく、久間三千年を犯人だと決定づけるのにはまだ十分な証拠が揃っていませんでした。
そこで証拠として「目撃証言」を収集します。しかし、裁判では「飯塚事件」が起きてから数か月後にとられた、不確実で不鮮明な証言を証拠として取り扱ったのです。そのため、目撃証言としては合理的でなく証拠として認めていいのか疑問視される事例になっています。
目撃証言がときには「冤罪」を生んでしまう事例とも考えられます。
死刑の執行
以上のように「DNA鑑定」「証拠不十分」「不明確な目撃証言」など様々な不確定要素があったのにも関わらず、「死刑」の判決を覆すことはできませんでした。
久間三千年さんは、逮捕された当時から無罪であることを主張し再審を求めていました。彼が生きている間の最後まで再審で無罪が判決されることはありませんでした。
結果的に日本で起きた「飯塚事件」は久間三千年が犯人であるとされ、2009年9月に死刑が執行されました。
日本の冤罪事件のなかでも有名な事例になります。

冤罪が起きる原因
警察官の出世主義にあります。
犯人を捕まえるのに捜査は膨大に掛かります。
お金を掛け犯人を捕まえて容疑なしとして釈放すると自分達の成績に影響します。
そのため無罪とは知っても証拠を捏造し有罪にするからです。
代表的なのは「袴田事件」です。
他にも無数に冤罪で刑務所に入れられた人は10年間で1万人とも言われています。
2008年10月28日に死刑が執行
死刑が確定してからわずか2年での死刑執行に現在でも疑問の声が上がっていて、冤罪事件の可能性がある中での死刑執行には批判もありました。
現代ではDNA検査などの捜査技術が大きく発展したのにもかかわらず、依然として冤罪となる事件が多く存在します。ここでは、そのような冤罪だったのに死刑が執行された事件。
AちゃんとBちゃんは翌日に遺体となって発見されました。2月21日午前0時10分頃に福岡県甘木市の八丁峠を自動車で通りかかった団体職員の男性が、小用を足すために車を降りたところ崖下の斜面にマネキンのようなものが捨ててあるのを発見しました。
不審に思い警察に通報した結果2人の遺体であることが判明したのです。死因は頸頸部を圧迫されたことによる窒息死で、性的暴行を受けた形跡がありました。
2人とも下着を脱がされており、下着やランドセルは遺体発見現場とは別の場所で道路から投げ捨てられたように遺棄されているのが見つかっています。
事件から2年後の1994年9月23日に女児の衣服についていた繊維片と久間の車で使われていたシートの繊維片が一致したため久間が逮捕されることになりました。
逮捕後も無罪を主張していましたが10月14日に死体遺棄で起訴され、11月5日には殺人略取誘拐でも追起訴されました。福岡地裁は1999年9月29日に死刑判決を下します。
久間は控訴と上告をしましたがともに棄却されて2006年9月8日に死刑が確定しました。

久間三千年(くま としみつ)
1992年、日本の福岡県飯塚市で事件は発生しました。飯塚市に小学校に通う2名の女子児童が行方不明になり、その後、飯塚市の山中で死体となって発見されました。
その後、現場に残されていた犯人のと思われる体液をDNA鑑定したところ、同じ福岡県飯塚市に住む日本人「久間三千年(くま としみつ)」のDNAと一致し、彼は逮捕されました。
久間三千年は判決の結果、「死刑」を言い渡されることになります。
出典: https://japaneseclass.jp
疑問の多いDNA鑑定
飯塚事件の犯人として「久間三千年」が逮捕された決定的な証拠はDNA鑑定による証拠です。
被害者の女子児童についていた毛髪や指紋などいくつかの証拠件数をDNA鑑定した結果、同じ飯塚市内に住む、久間三千年(くま みちとし)のDNAと一致したと判断され、彼は逮捕されました。
しかし、このDNA鑑定にはいくつかの疑問点が挙げられます。
第1に、DNAの鑑定方法に欠陥がある可能性があったことです。DNA鑑定は「MCT118」とよばれる検査方法によって行われました。しかし、このDNA検査「MCT118」は現在の鑑定技術に比べると、検査方法が非常に大雑把で欠陥があるとされており、証拠とするには疑問であるという声があがっています。
第2に、鑑定者の技量も疑問視されています。鑑定者が鑑定に使用する毛髪・血液などのいつかのサンプル件数を必要以上に使用し、再度鑑定することができなくなっていたのです。事件の有力な証拠件数が鑑定者の技量不足によって損失してしまったのです。この鑑定者の技量不足から、そもそも本当にしっかりと鑑定が行われていたのかも疑問視されています。
これらの疑問件数によってDNA鑑定が本当に正しかったのか疑問が強まっており、「冤罪の可能性が高まっています。
不確かな目撃証言
飯塚事件にはDNA鑑定以外の物的証拠に乏しく、久間三千年を犯人だと決定づけるのにはまだ十分な証拠が揃っていませんでした。
そこで証拠として「目撃証言」を収集します。しかし、裁判では「飯塚事件」が起きてから数か月後にとられた、不確実で不鮮明な証言を証拠として取り扱ったのです。そのため、目撃証言としては合理的でなく証拠として認めていいのか疑問視される事例になっています。
目撃証言がときには「冤罪」を生んでしまう事例とも考えられます。
死刑の執行
以上のように「DNA鑑定」「証拠不十分」「不明確な目撃証言」など様々な不確定要素があったのにも関わらず、「死刑」の判決を覆すことはできませんでした。
久間三千年さんは、逮捕された当時から無罪であることを主張し再審を求めていました。彼が生きている間の最後まで再審で無罪が判決されることはありませんでした。
結果的に日本で起きた「飯塚事件」は久間三千年が犯人であるとされ、2009年9月に死刑が執行されました。
日本の冤罪事件のなかでも有名な事例になります。

冤罪が起きる原因
警察官の出世主義にあります。
犯人を捕まえるのに捜査は膨大に掛かります。
お金を掛け犯人を捕まえて容疑なしとして釈放すると自分達の成績に影響します。
そのため無罪とは知っても証拠を捏造し有罪にするからです。
代表的なのは「袴田事件」です。
他にも無数に冤罪で刑務所に入れられた人は10年間で1万人とも言われています。
この鉄格子に紐状の物、ランニングシャツ、枕カバー、シーツ、布オムツ、衣類などを切り裂いて結んで紐にして輪っかを作り、そこに自ら首を掛け吊って自死した患者は二桁を優に超え三桁になる。
この閉鎖病棟のこの部屋で自死する患者が年間100を超えても横組の鉄格子を縦組にすることはしないだろう。
入院期間が数十年を超える生活保護の患者も少なくないこの病院では、古い患者は要らないのだ。
新規の患者を獲得し金の流れを滞らせない為に必要不可欠なパーツの鉄格子。
スーパー救急を狙う病院だからこそ、長期精神病院は、現在では精神科病院と呼ばれるようになったが、名称が変更になってもその実態には大きな変化があるわけではない。新しく建造された精神病院はアメニティがかなりの程度改善し、一人一人のスペースも広いものとなっている。
古い時代のように、畳敷きの大部屋に10人、20人と雑居していることはほとんどみられなくなった。
その中でも閉鎖病棟は、重度の精神病患者を収容する病棟で施錠がきびしい。
外出を許可されることは、まずめったにない。窓という窓には、逃亡を防ぐために、頑丈な鉄格子がはめ込まれている。

男女がいるところには、恋愛沙汰はつきものである。
ある中年の精神科の医師が、女子病棟に入院していた16歳の女性患者を「治療」と称して院外に連れ出し、ディズニーランドに行った後に性的関係を持った事件があった。これは両者合意の上のデートだったが、女性患者が自分は医者と付き合っていると施設の職員など周囲に自慢したため、病院の管理者の知るところになってしまった。
この事実を知った院長や事務長は青ざめてパニックとなり、マスコミに漏れる前にすぐにその医師を退職させ隠蔽してしまった。こんなことはどこの病院で起こっている困った問題だ。
精神疾患により医療機関にかかっている患者数は日本中で400万人を超えている。
そして精神病床への入院患者数は約28万人精神病床は約34万床あり、世界の5分の1を占めるとされる(数字は2017年時点)。人口当たりで見ても世界でダントツに多いことを背景として、現場では長期入院や身体拘束など人権上の問題が山積している。
「14歳の時に摂食障害(拒食症)で都内の総合病院の精神科に入院し、77日間にわたり身体拘束された女性Aさん(27歳)は当時の経験をそう振り返る」
「受診後、入院するまでの数日間、Aさんはどこかで入院生活を楽しみにしている自分もいたと話す。「今まで病気らしい病気になったことがなかった自分に病名がつき、皆が自分の体を心配してくれることがうれしくすらありました。入院中、友達に手紙を書きたいし、家族の面会も楽しみ、同じ病室・病棟の子と仲良くできたらいいな、などと考えていました」
ところが入院当日、そうした浮かれた考えは一気に打ち砕かれた。
案内されたのは病棟の奥にある、ベッドとポータブルトイレだけがある、無機質な独房のような個室だった。鉄格子のついた窓の外はつねに日陰で、その日の天気もわからなかった。
約4カ月半にも及ぶ長期入院になるとは思っても居なかったという。
入院にあたって、まず行われたのが持ち物検査だ。眉をそるためのカミソリはおろか、携帯電話や音楽を聴くためのiPod、書籍や筆記用具、コンタクトレンズまで持ち込みが許されなかった。一つひとつ選んで持ってきた大切なぬいぐるみは手乗りサイズ1つを残し、すべて持ち帰りが命じられた。
ベッド上に寝たままで勝手に動かないように
入院後、Aさんが主治医からきつく課されたのが、ベッド上に寝たままで勝手に動かない(床上安静)ということだ。ベッドサイドに腰掛けることも認められない。また個室内の衝立(ついたて)のないポータブルトイレすら勝手に使うことが許されず、看護師の許可を得て利用し使用後確認させることが求められた。
つまりAさんが自由を許されたのは、個室のベッドの上で横になり、小さなぬいぐるみをひたすらなでることだけだった。
同じく主治医からは、出された普通食を3分の2以上平らげることを厳しく求められた。
しかも病院ではそれまで胃が受け付けないと避けていた、天丼やカレーなど重い食事が頻繁に提供された。揚げ物の衣の油がきつく、食べたくなかったが、そうできないのには訳があった。
「主治医との最初の面談で、3分の2以上食べなければ、鼻から胃に直接栄養をいれる『経鼻胃管』に切り替えると告げられており、胃もたれに苦しみながら必死で食べ続けました」
テレビも読書も音楽も禁止され、両親や友人との面会はおろか手紙や伝言も許されないなど、外界とつながりが隔絶された日々に、Aさんの病院と主治医への不信感は高まっていった。入院から約1週間後、Aさんは両親に会いたいとの懇願を看護師にあしらわれると、一連の処遇への不満から点滴を自己抜去した。
駆けつけた主治医に、Aさんは思いの丈をぶつけた。「ほかの精神科へ転院させてください」「それが無理なら小児科病棟に移してください」。
主治医に却下されると、最後の希望をかけて、「私は任意入院だと聞いています。
権利があるはずなので退院して自宅に帰ります」と訴え、出ていこうとした。
そのAさんに主治医から非情な一言が告げられた。
「ああ、今から医療保護入院になるから、それは無理だよ」
「『もういいかな? じゃあやっておいて』と主治医が手慣れた様子で言い放つと、病室に入ってきた4人の看護師が手足を押さえつけ、手際よく柔道着の帯のような平たい頑丈なひもを私の体に巻き付け、ベッドの柵の下側に結んでいきました」
両手、両足、肩のが終わると、次に鼻の穴から、経鼻胃管のチューブが挿管された。チューブは胃カメラのときに入れるものよりも太くて固い。それが常時入れられたままになる。
「経鼻胃管をされると、24時間ずっと鼻とのどに食べ物や飲み物が詰まっているような、何ともいえない違和感があります。例えるなら、柱がのどに突き刺さっているような感覚です。とにかく、苦くて痛い、そして苦しくかゆいとしか言いようがありません」
排尿は、尿道バルーンが自動的に尿を吸い出す形で行われた。拘束が外れた後も筋力が回復して自力でトイレに行けるようになるまで、2カ月半ほど付け続けた。
「経鼻胃管の痛みと違和感が強すぎて、尿道バルーンの痛みや違和感はそこまで記憶していません。ただ、恥ずかしさはとても大きかったです」
より恥ずかしかったのは排便だ。
おむつを付けさせられたうえ、排便時にはナースコールをして看護師におむつを脱がされ、お尻とベッドの間にちり取りの形をした「おまる」を入れられ、そこにしなければならなかった。
「排便時もおなかに1枚タオルをかけてくれたぐらいしか、プライバシーへの配慮はありませんでした。3日に1回お通じがなければ浣腸され、無理やり排便させられました。恥ずかしいし情けないし、思い出したくない経験です」
当然のことながら、摂食障害で入院したAさんは意識も鮮明で、はっきりと意思の疎通もでき、もちろん幻覚を見たり幻聴を聞いたりすることもなかった。「意識が完全にクリアな中でされる身体拘束や経鼻胃管、尿道バルーンの経験は、まさに『極限の地獄』」。
入浴もできず、数日に一度の看護師による手か足の部分浴か清拭のみがなされた。
「点滴が落ちるのを見ることぐらいしかできない身体拘束中は、1分1秒、時間が経つのがとても長く感じました。その間、私はどうしたらこの拘束が解け地獄から抜け出せるのか、必死で考え続けました」
主治医からは身体拘束の理由について、「自分を見つめなおすため」「自分と向き合う時間を作るため」といった抽象的な説明ばかりで、Aさんのその時点での状態の説明や治療目的、どうすれば拘束が外れるかの具体的説明などは、何ひとつなかった。
いつまで続くかわからない身体拘束から逃れるべく、必死で考え続けるAさんを前に、主治医はこんな雑談をしたこともあった。
考え続けた結果、Aさんが生育過程での母親との関係性の悪化について話をするときだけ、禅問答のような聞き返しがなく、Aさんの話を納得したように黙って聞いてくれることに気がついた。
「主治医はこの病気の原因を母親との親子関係に結び付ければ満足してくれるのだと思い、その方向で話を合わせるようになってからは、拘束が緩んでいくのが早くなりました」
結局、全拘束が解除されたのは8月上旬、5月下旬から77日間にわたって、24時間拘束が続いたことになる。両親と面会が許されたのは、それからさらに1カ月半先の9月末のことだ。退院はさらに2カ月後となる11月末、入院からちょうど半年が過ぎていた。
2018年5月
不当な身体拘束を受けたとして、この病院に損害賠償を求める裁判を起こした。現在、東京地方裁判所で係争中だ。
https://news.livedoor.com/article/detail/24037982/
つまようじ男=磯タカヒコ
https://twitter.com/i/status/1621345421233905665

回転寿司のはま寿司をはじめ、次から次へと続く飲食店でのテロ行為。
(1) 天気が良く空間識失調も考えにくいこと
(2) 直前に整備していること
(3) あのヘリはエンジンが二つあるため余程のことがない限り落ちはしない。
(4) SOSを発信することも救命ボート展開すらできなかった
これはつまり一瞬の出来事だった、と考えられる。
何より、ミサイルやドローン以外でも色々考えられる。
アメリカは特別軍事演習中だし、日本政府はこの件は隠蔽する。
アメリカのミサイルか中国のミサイルのどちらかに落とされた。

今日の午後六時頃だけど、沖縄方面の空を見ていたら雲から黒い物体が垂直に落ちてきて途中で2つに分かれたのを見た
撃情報がみんな光ってから落ちた証言
中国艦艇から発射されたミサイル雲から一直線に落ちてきて、途中で2つに分裂してそのまま落ちていきました。
これは関係ないかもしれませんが、その落ちる物体に向かって黒いひこうき雲のようなものが下から向かっていきました。


天気が良く空間識失調も考えにくいこと
直前に整備していること
あのヘリはエンジンが二つあるため余程のことがない限り落ちはしない。
また、SOSを発信することも救命ボート展開すらできなかった
これはつまり一瞬の出来事だった、と考えられる。
何より、ミサイルやドローン以外でも色々考えられる。
アメリカは特別軍事演習中だし、日本政府はこの件は隠蔽することで必死。

今日の午後六時頃だけど、沖縄方面の空を見ていたら雲から黒い物体が垂直に落ちてきて途中で2つに分かれたのを見た
撃情報がみんな光ってから落ちたと証言
中国艦艇から発射されたミサイル雲から一直線に落ちてきて、途中で2つに分裂してそのまま落ちていきました。
これは関係ないかもしれませんが、その落ちる物体に向かって黒いひこうき雲のようなものが下から向かっていきました。


外国人観光客も多数見ている中でこの惨事を隠蔽することはできない。

外食チェーンでの迷惑行為動画がとどまるところを知りません。2023年2月5日、吉野家で無料提供の紅生姜を共有のトングではなく自分の箸で直食いする男が現れました。
名前はわからないものの大学生だという口コミが見つかりました。
吉野家の紅しょうが直食い男について調べています。
https://twitter.com/i/status/1622237683992109056

吉野家の迷惑行為
吉野家紅生姜ぶちまけ炎上
専修大学の学生


https://twitter.com/i/status/1623658293326647296
高校のサッカー少年にしては華奢な印象ですね。日に焼けているので外に出ていることは多そうです。ジャージのエンブレムや口コミの情報によりますと、名門、富山第一高等学校のサッカー部2年生とわかっています。
1年前の撮影。
実は昨年のうちに判明してたけど、サッカー全国大会出場があったから緘口令しいて隠蔽したが、裏切り者が拡散に踏み切った、とか?
撮影していたのは同級生なのか、先輩なのか、その辺りも気になるところです。
男子高校生の母親だけが店舗に謝罪に出かけていることにも、本人が謝罪に行かないのかと非難に声が出ています。

児童養護施設の約1.5倍の虐待率

椎名君と同居していた離島留学生が、新たに里親の虐待を「週刊文春 」に告発した。
それは躾ではなく暴力です。1人8万入金されていましたが、満足な食事も与えられていなかった。



(夫婦はまるまると太っているわ)
ええ、24個1人で食べますよ、この年齢は。
それを3つで食事と言えるのが理解できません。
虐待でしかない。
施設ではないのに8人も迎えて世話できるはずがないです。
ビジネスでも良いので毎年チェックするなど厳格に審査して頂きたい。
このボケが…
この親は再婚して子を里親に出した。

(この人物を教育長にしたのは市長と議会で責任もある)
「事情があって親元に帰れない、相談できない」と言う認識がすっぽり抜けてしまっている。このままだと子供達が危険にさらされても救えない。



この学校も留学生にはいじめがあったそうです。

子供達の食費をケチって建てた家は豪邸

知らなかったとは言わせない。

里親に預けて殺された事件も多い



事件発生から9年と2カ月が経って発見される。

佐藤宣行 (28歳)
「新潟少女監禁事件」が発生したのは1990年11月13日午後5時頃で、新潟県三条市内の農道を車で走っていた無職で引きこもりの佐藤宜行が下校途中の佐野房子さん拉致し、約9年2カ月に渡って自宅に監禁した事件です。
事件当日、佐藤宜行は農道を歩いていた佐野房子さんを車で追い越した先で停車させ、護身用にいつも携帯していた刃渡り14cmのサバイバルナイフを手に接近し、胸元に突き付けて「おとなしくしろ。声を出すな」と脅して自由を奪いました。
自宅で母親と2人暮らしをしていた佐藤宜行は、少女誘拐がバレないように増設中だった家の裏側から目隠しした少女を担ぎ入れ、再び車で正面に戻ると普通に帰宅したことを装って自宅に入り、少女を自室に入れて目隠しを外しました。
約束を守らなかったらお前なんか要らなくなる。山に埋めてやる。海に浮かべる」と佐野房子さんを脅し、その後殴打やスタンガンなどの暴力で逃げる気力を失わせ9年2か月にわたる監禁を続けました。
そして、2000年1月28日に、母親が佐藤宜行からの家庭内暴力をかかりつけの医者に相談し、精神病院への緊急入院をさせるために当局の人間が自宅を訪れたことで、当時19歳になっていた佐野房子さんが発見され、保護されることになりました。
1990年11月13日
新潟県の三条市路上で少女(当時9歳)が下校途中に行方不明となった事件。
母親が、19時半を過ぎても帰ってこない娘を心配して、交番へ捜索願を提出しました。
11月19日には80人規模の捜索隊となり、12月25日には地元消防団による捜査チームも解散。
最終的に、強制入院させることが決まり、病院・保健所・市役所の3組織からのスタッフで編成されたチームが、部屋に引きこもりがちな男を連れ出すために結成されました。
その騒動中から、部屋の中で毛布の塊がもぞもぞしているのに気付いていた職員が毛布を切り開くと、中から少女が現れました。
事件発生から9年と2カ月が経っていました。職員は母親へ訪ねましたが、「顔も見たことない」と返事を受けました。少女は監禁生活で心身共に弱っていましたが、2001年時点では、徐々に日常に気持ちを戻しつつあると伝えれらえています。

男は母親と一緒に住んでいましたが、少女を母親に見られないよう、正面玄関を使わずに家の中へ少女を自身の部屋へ入れ、「部屋から出たり約束を守らなかったらひどい目に遭わせる」などと脅迫しました。
連れ込んだ直後から、「ずっとここで暮らすんだ」「約束を守らなかったらお前なんか要らなくなる。山に埋めてやる。海に浮かべる」などと脅しながら数十回顔を殴打しました。
「自室のセミダブルベッドから許可なく降りないこと」「自分が自室を出入りする際には顔を覆ったり毛布に潜るなどして見ないこと」などルールを細かく作り、それを破った際には罰として殴打やスタンガンなどで暴力を加えました。

https://www.dailyshincho.jp/article/2021/02050601/?all=1
精神鑑定は、分裂病質人格障害、強迫性障害、自己愛性人格障害、小児性愛と診断
14年の短すぎる懲役
精神病患者を刑務所に収容しても何もならない
共同生活は出来ないので独房生活になる。
刑務所でなく収容するとこは精神病院。




アカウント名「@aizawaa__tomomi」ともみ
あいざわりん中学校特定「名古屋市立南光中学校」


アカウント名を「あいざわともみ」としていますが、TikTokの炎上後、批判が殺到したのでしょうか?「あいざわりん」から「あいざわともみ」にアカウントを作り直しています。

アカウント名「rin__10」りーん

おそらく2008年生まれなのだと思われます。ちなみに「@rinn1109ほんあか」となっていたので本アカを探してみました。
https://twitter.com/i/status/1615734072512491521


写真加工したらブスが別人に変身




診療を装い、女性患者の下半身を触りながらカメラ機能付きのメガネで盗撮したとして、「大塚南口駅前脳神経内科クリニック」(東京都豊島区)院長の西田隆容疑者(54)が8日、準強制わいせつの疑いで警視庁捜査1課に逮捕された。
西田容疑者は「悪いことした覚えはない」と否認。

「逮捕まで1年半近くかかったのは、捜査対象が医師だったため、わいせつ行為かどうかを慎重に見極める必要があったから。複数の専門医に話を聞き、医療行為ではないと判断した。自宅から押収したパソコンに、西田が複数の女性患者に対し、診療に必要のない部分を執拗に触っている動画が50本以上保存されていた。それで盗撮行為が発覚した」

摂取後
数時間から半日くらいでは消化器症状が中心になり、嘔吐、下痢や下血。
その後、めまいと倦怠感、脱力症状があります。
心筋梗塞などと診断されて死亡したと多くは見られます。
関東化学株式会社の販売ページで、25gが税別6,500円で販売されています。
このようなところで購入をするには、会員として登録すれば誰でも変えます。
京都市右京区の土地を買い豪邸を立てるなどその後も事業展開を行い急成長していたそうです。
既に既婚者で、祖母の代から続く茶道家元らしく家元を継いだ可能性もあるのではと言われています。
法輪功系メディアも「人工ウイルス」と主張
法輪功がアメリカで運営する中国語衛星テレビ「新唐人」が、「新型コロナウイルスは人工ウイルスの可能性が高いことを証明した」という中国人科学者のインタビューを放送した。
中国武漢で開発されたコロナウイルスはウイルス兵器だった。
杜祖健氏は生物毒の専門家で、過去には米軍の顧問を務めたこともある。とくにアメリカの生物兵器対策の実情に詳しい専門家で、筆者の『生物兵器テロ』(ジャーナリスト村上和巳氏との共著、2002年)でも同氏にインタビューを行っている。
杜祖健氏は、すでに世界の専門家たちに否定されている人為的な遺伝子操作という説が「存在する」と言及しているが、それを紹介する日本のメディアでは、彼が人工ウイルス説を主張しているかのように伝えられた。
この事件は、埼玉県本庄市の不動産業、阪上裕明容疑者(37)が兵庫県の女子中学生をおよそ2か月にわたり、自身が管理する借家に住まわせ、誘拐したとして逮捕されたものです。
阪上容疑者は「将来、自分の経営する会社の従業員にしたかった」と供述していますが、その後の捜査関係者への取材で、「自分が助けなければ別の被害に遭っていた」という趣旨の供述をしていることが分かりました。
阪上容疑者は、さいたま市の別の女子中学生を1か月余り借家に住まわせたとして先月にも逮捕されていて、警察は詳しい動機を調べています。
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20191128-00000049-jnn-soci
本庄市東台に住んでいる37歳で不動産業の阪上裕明という人物のプロフィール、経歴から顔画像やフェイスブックや会社名「圏央アセットマネジメント株式会社」も特定!
twitterのダイレクトメッセージで「埼玉においで、勉強するなら養ってあげる」と中学生に送信した阪上裕明という男性について2ちゃんや5ch情報などでもツイッター、インスタ等のSNSアカウントを調査!調査・検証していきます。
・名前:阪上裕明(読み方:さかうえひろあき)
・年齢:37才
・職業:不動産業
・住所:埼玉県本庄市東台5-1
世界死刑廃止デーに際し、各国の人権団体が北朝鮮当局による人権侵害に対し非難の声を上げたと、米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)が伝えている。
RFAによれば、アムネスティ・インターナショナルの死刑制度の専門家であるキアラ・サンジョルジオ氏は、次のようにコメントしている。
「北朝鮮では、明白な証拠や弁護人もなしに死刑が速やかに宣告されているとの脱北者証言と、関連資料があります。それだけでなく、時には北朝鮮の国内法上も死刑に当たらない軽微な事案においても公開処刑が執行されていることを、強く憂慮しています」
またRFAによると、ロンドンに拠点を置く世界基督教連帯は、北朝鮮では聖書を持っていただけで処刑されることもあると指摘している。
北朝鮮におけるこのような実態は、恐怖政治によって国民を統制している金正恩党委員長の権力構造と直結するものだ。核と大陸間弾道ミサイルをカードにうまくトランプ米大統領との関係を築き、なんだか世界のメジャーな国家指導者の仲間入りを目前にしているかのような金正恩氏だが、公開処刑を乱発してきた経歴がある限り、国際社会から温かく迎える日は決して来ないだろう。
特に、祖父や父親をもしのぐ残忍な処刑方法が捕捉されている事実が、金正恩氏のそのような運命をいっそう強く決定づけていると言える。
米国の人権団体、北朝鮮人権委員会のグレッグ・スカラチュー事務総長はRFAの取材に対し、北朝鮮が大口径の高射銃を使って公開処刑を行っていた事実に言及している。これは、衛星写真によってその状況が確認されているものだ。
また、2013年8月に銀河水管弦楽団と旺載山(ワンジェサン)芸術団のメンバーら9人の公開処刑が行われた際には、最前列で「見学」することを強制された女性芸能人の中に、失禁しなかった女性はいなかったと言われる。
今後、金正恩氏が国際社会に何をアピールしようとも、こうした過去が消えることは決してない。果たして本人はそのことを、どのくらい深刻に認識しているのだろうか。
発表によると、男は7月30日頃、自宅1階から庭に向かって男児を投げ落とし、右腕の骨を折る全治1か月の重傷を負わせた疑い。
「間違いない」と容疑を認めているという。
県警は「被害者が特定される恐れがある」として、男児の年齢を「10歳未満」としている。
県警によると、8月1日に公的機関から県警に、この男児に対する児童虐待の情報提供があったという。
県警と県は一時保護などの対応について明らかにしていない。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20191011-OYT1T50177/
これ母親も厳罰にしないと根は絶えないと思うけどね
男を簡単に家に連れ込むシンママが多すぎる
子供最優先に生きるシンママもいれば、早速男探すシンママもいる。
後者は子供が可哀想。
なんでそういう男ばかり選ぶかねえ
子持ち女って目が曇るのか?
もしくは男が子供に嫉妬するのをうまく処理できないのか?
身体目当てで一緒にいるだけの男に育児しろとかメンドクセーこと言ってるんじゃないの?
DV離婚しらんの?
離婚しないと旦那に殺されるんだよ
結婚までは別人の顔だからころっと騙される
女がアホなのは間違いない。
このての事件は全て女のせい
結局はこんなバカな男としか、
付き合えないシングルマザー
自覚してほしい、
男は体と金しか見ていない
愛なんて無いって事を。
宮迫は謹慎前に当初は会見で事情を釈明したいという意向を持っていたが、「吉本興業の社長が『お前、テープ回してないやろなと。
お前辞めて、1人で会見したらええわ。やってもええけど、ほんなら全員クビにするからなと。
おれにはお前ら全員クビにする力がある』と言われました。
何も言えなくなりました。
それが(6月)24日です」と、吉本興業の吉本興業の岡本昭彦社長側からの圧力があったことを明かした。
その後、会見しないまま謹慎期間が過ぎ、ワイドショーなどで報じられる芸人仲間のコメントを見るうち「もう一度会社に、引退しても会見をさせてくれと言いました」と行動を起こしたという。
7月8日には「僕と亮君が(岡本社長のもとに)行き、僕が全責任を負い、引退するので謝罪させてくれと岡本社長に嘆願しました」と再び願い出た。
しかし「『引退させない。させるわけにはいかない』。
そうおっしゃり『謝罪会見はさせてやる。
その代わり、期間はこちらで。いつになるか明言できない』と言われました。
僕らは1日も早くとお願いしました。でもこちらで決めると。
僕は会社のためにもすぐやるべきですと言いました」と直談判したにもかかわらず
会見させてもらえないままだった。
不信感がぬぐいきれなかった宮迫と亮はそれぞれ自分たちに弁護士を付けることを選択したという。
謝罪会見であると同時に吉本興業と岡本社長のパワハラ告発会見
まるでドラマや映画みたいだけど吉本興業がヤクザなのは有名です。
事務所は吉本だけでは無いんだから、所属芸人は他の事務所に移籍すればいい
名前:岡本 昭彦(おかもと あきひこ)
生年月日:1966年
年齢:53歳
大学:天理大学外国語学部インドネシア学科
職業:吉本興業株式会社代表取締役社長、株式会社MCIPホールディングス代表取締役会長
天理大学時代はアメリカンフットボール部で活動していました。
吉本入社後の2年後にダウンタウンのマネージャーとなります。
その後、今田耕司、東野幸治、130R(蔵野孝洋・板尾創路)、木村祐一ら名だたる芸能人を担当しています。
マネージャーや番組制作の仕事が長いです。
その後は吉本興業の東京制作部でチーフプロデューサー
吉本興業所属の若手お笑い芸人のDVDを独占的に製作・発売する株式会社アール・アンド・シー(R and C Ltd.)の取締役に就任と着実にステップアップしています。
吉本興業代表取締役副社長、共同代表取締役社長COOを経て
現在は代表取締役社長、YDクリエイション代表取締役社長を務めています。
現在の吉本を支えている芸人たちを知り尽くしていると言っても過言ではないですね。
経歴は本当にすごい方です。
しかし、今回の吉本芸人の闇営業問題で対応などが問題になりそうですね。
2019年に社長になって、いきなり大きな問題となり大変ですが、マネジメントとしても能力はどうなんでしょうか。
県警の遺品紛失や公文書の破棄の疑いが明らかになったが、少年の母が何よりずっと願ってきたのは、事件の解決だ。時効まであと半年。母は加害者へ「事件の真実を聞かせて」と願う。
2009年9月30日午後7時前。習い事を終え、好きなテレビ番組を見ようと自転車で帰宅する途中だった。小学4年の小関孝徳(こせきたかのり)さんが車にひかれて亡くなった。
小3からサッカーを始め、厳しい練習にも弱音を吐かなかった。「優しく、気遣いのできる子だった」と母の代里子さんは言う。2人だけの家族で、家の手伝いもよくやってくれた。
「私に犯人は捕まえられない。でも何かきっかけになれば……」。代里子さんは事故後、孝徳さんの友達の母親らと現場に立った。通る車のナンバーをメモし続け、県警に提出。その数は約10万台分に及んだ。
しかし、目撃情報や物証の少なさなどから、捜査は難航した。交通捜査課によると、これまで約270件の情報が寄せられたが、有力な情報はない。現場のタイヤ痕から「排気量1800~2千ccの普通乗用車」とみて県内外の車を調べてきたが、犯人につながる手がかりはつかめていない。
現場は幅約7・6メートルの片側1車線の直線道路。近くには複数の幹線道路が走り、代里子さんによると、それらが混雑している場合は抜け道として使われるという。捜査関係者は「犯人は付近の地理に詳しいか、この道を使い慣れた人物の可能性が高い」とみる。
道交法違反(ひき逃げ)の時効は16年に成立。県警は時効が10年の自動車運転死傷処罰法違反(過失運転致死)容疑で捜査を続けているが、その時効も、今年9月30日に迫っている。
事故当時、孝徳さんは10歳の誕生日に代里子さんからプレゼントされた腕時計をしていた。「好きなものを選んでいいよ」と勧めても、孝徳さんは母を気遣ったのか、安い腕時計を選んだという。
県警は事故後、遺品の腕時計を証拠品として押収していた。だが時効まで1年を切った昨年10月、母親と捜査員が会話したのがきっかけとなり、腕時計がなくなっていたことが判明した。
県警は提供してもらう際に腕時計の「押収品目録交付書」を代里子さんに渡していた。その後、紛失に気づいた別の捜査員=定年退職=が、発覚する前に代里子さんから交付書を回収し、破棄していた疑いも浮上した。
「腕時計は、見つけだしてほしいし、ひき逃げ犯も逮捕してほしい」と代里子さん。時効が迫る中、切迫感が募る。「あの日に何があったのか、とにかく、今は真実が知りたい」
今年1月には「多くの人に事件を知ってもらいたい」とブログを開設した。孝徳さんの生前の様子や時効が近づく現在の心境などをつづりながら、情報提供を呼びかけている。更新を続ける理由の一つに、どこかで犯人の目に触れてほしい、と願う気持ちもある。
ブログは「《未解決》熊谷市小4男児死亡ひき逃げ事故《時効まであとわずか》」(https://ameblo.jp/kosekitakanori/)。情報提供は高橋正人法律事務所(03・3261・6181)まで。(笠原真)
「須江は、背中一面と両腕に入れ墨を入れていました。17歳ぐらいまでは小さな暴走族に入っていて、毎夜バイクで走り回ってもいました。族を抜けた18歳ぐらいから特に悪くなって、窃盗、恐喝、傷害なんかは日常茶飯事。シャブもやっていたという話です。逮捕されるのも今回が初めてではなく、これまでに2回捕まっているはずです」
こう話すのは、東京・江東区で起こった「アポ電」強盗殺人事件で逮捕された須江拓貴(ひろき)容疑者(22)。
事件が起きたのは2月28日。マンションで一人暮らしをしていた加藤邦子さん(80)が所持金について確認する電話を受けた後、殺害されたのだ。強盗殺人などの疑いで逮捕されたのは、須江容疑者の他に、小松園竜飛(こまつぞのたつみ)(27)、酒井佑太(22)両容疑者。3人は軽自動車で乗りつけ、加藤さん宅に侵入し殺害したとされる。
須江容疑者は地元・長野で札付きのワルとして有名だった。犯行グループの中でも、リーダー格を務めていたという。X氏が続ける。
「彼が中学生の頃、父親が交通事故で亡くなった。その保険金が入ってカネ回りが良くなり、高価なバイクを乗り回したり、外車をしょっちゅう買い換えたりしていました。でも、そのおカネも底をついて周りから借金しまくったせいで、地元にいられなくなった。
昨年10月にも逮捕されていますが、交際相手に対するDVとストーカー容疑が原因でした。その彼女にも300万円ほど借金していたと聞いています。仲間からのも含めると、600万くらいですかね。借金が返せなくて、車を質に入れてたこともあったみたいです」
他の実行犯二人とは、どのように知り合ったのか。
「一緒に逮捕された酒井とは高校の同級生です。もう一人の小松園は地下格闘技の選手をやっていたので、須江とはそこで知り合ったのでしょう。中学の頃から須江はレスリング大会に出場しており、格闘技が得意でした。仲間内では、格闘家のツテでヤクザになると言われていました」
「アポ電」による事件は群馬や静岡など、全国に拡大している。
「アポ電強盗」のバックに巨大組織がいる。
振り込め詐欺の裏には暴力団などの反社会勢力がいます。実行犯たちをコマのように使い、上納金を取っている。狙われるのは一人暮らしの高齢者ばかり。
名簿業者から流出したリストが、闇社会で出回っているんです。
その犯行リストをもとに、反社会勢力は新たな場所で次の犯行計画を立てています。
巨大組織は表には現れず、須江のような実行犯を使って悪事を企んでいる。
一昨年、バイクで交通事故を起こし、病院で療養する須江容疑者
「散々いじめてきた相手に懲らしめたい!」